女性が管理職になる時によく起きる「はて?」・・小嶋美代子

「はて?」

最近、わたしの周りでよく聞くセリフです。ドラマをきっかけにジェンダーのことが気になるようになったようです。あらためてドラマの影響力を感じます。

今日は、女性が管理職になる時によく起きる「はて?」を整理してみました。

 

  • はて?わたしが昇格するなんて滅相もない

まさか自分が昇格するなんて思ってもみなかった、と聞くと、わたしは「このご時世にほんまかいな」と疑ってしまいます。本当は予期していたのに想定外だと主張するケースでよくあるのは、セルフ・ハンディキャッピングです。試験前に勉強したか問われて「ぜーんぜん!」と答えるアレです。美しさの秘訣を聞かれた女性芸能人が「特別な事は何も」と答えるのも同じです。この心理はセルフハンディキャッピングと言い、失敗時の言い訳ともいえます。また、必死にならないことが美徳という価値観から来ていいます。女性が、管理職に興味ないことを美徳と捉えていることも影響しているように思います。

 

  • はて?それは偶然でしょう

管理職になることを予想はしていたけれど、そのタイミングが早かったという話も聞きます。管理職キャリアの期待を感じ、自らもそのつもりで経験を積んできたものの、まだまだ自分には無理だろうと思っていたので、辞令を見て驚くのです。仕事で成功してもそれは自分の能力によるものではなく、偶然や他者に理由があると考えることが、とりわけ成功者の女性に多く見られます。インポスター症候群と呼ばれています。

 

  • はて?聞いたこともない

上司から管理職としてのキャリアについて聞かされていなかったという女性が多く存在します。上司部下が男性同士の場合、「次の昇格候補に名前が挙がってるから抜かりなくやれよ」など檄を飛ばされることがあります。こうしてちょっとした耳打ちをして、男性同士がうまく事をまわすようにつくるコミュニティをオールドボーイズネットワークと言います。もちろんそこに女性は入っていませんし、女性同士がそのような機能を持つことがまだ少ないと言えます。

 

はて?管理職の適正とは何だろう

「疲れた管理職を見て希望が持てなくなった」、「ワークライフバランスを重視したい」、「専門性を磨きたい」、このような声を働く女性から聞きます。いずれも最初は小さな不安から始まります。どんなことにも不安はつきものですが、強い不安先行やリスク予防は自己防衛からくるとも言われています。管理職は仕事が成功するようあらゆるリスクを排除し、資源を適切に配分し、問題を自ら発見し解決することが求められます。そう考えると、管理職になりたくないと主張する不安先行型ネガティブ思考は、管理職の適性があるともいえます。

 

はて?男性は嬉しいのだろうか

一方、管理職候補の男性から同様の声はほとんど上がりません。管理職になりたいのでしょうか?実は、男性の中に弱音を吐けず苦しむ人がいます。男らしさの呪縛といわれます。心当たりがありませんか?痛い注射に泣いて叱られた、Yesかハイしか選択肢がないと言われた、とか。女性は選択肢があるから「なりたくない」と主張しますが、選択肢がないと感じている男性は本音を出すことができません。アンコンシャスバイアスに縛られているのです。

 

はて?女性だから選ばれたのか

女性だからという理由で選ばれたくない、実力で評価されたい、こういった声も多く聞きます。管理職になった後でさえ続きます。女性活躍を声高に叫ぶと、ひいきされているみたいで嫌だというわけです。なぜこんなに女性、女性と言われるのか。もっと静かにしてほしい。わたしはただ自分の仕事がしたいだけ。わたしのことを放っておいてほしい、そっとしておいてほしい。そんな声も聞こえますが、そのたびにわたしは、むかしの自分と重ねて、共感します。わたしはわたしなりに一生懸命仕事してきたし、女性だからと言って特別な対応をされたわけではない、と思っているのです。しかし、事実は異なります。生活、教育、仕事の場において安全に守られることで、結果的に機会を喪失することが幾度もありました。女性だからと表面に出していないだけです。

 

わたしは働く女性に対する研修や講演で、必ず次のようにお伝えします。

キャリアアップはこの時代に生まれたわたしたちに与えられたミッションである、どうせなら運命を嘆くより楽しく仲間をつくり前進しよう、とお伝えします。女性が働くのがあたりまえになったように、管理職になるのが不自然でない未来のあたりまえをつくりましょう。わたしたちの挑戦は、歴史に残る小さな偉業です。

小嶋美代子

ブログ:ダイバーシティの中で語られる共感とは・・篠田寛子

ダイバーシティを推進するために「共感力を磨きましょう」という言葉を耳にしたことがあるかもしれません。

共感とは、相手の気持ちや考えに寄り添い、その背景を理解しようとする姿勢です。単なる同意ではなく、なぜ相手がそう考えるのかを知ろうと努めることで、誤解や偏見が減り、深いコミュニケーションが生まれます。多様な意見や価値観に対して共感することで、職場やコミュニティでの一体感が高まり、多様性を活かした新しい価値の創造につながります。

というように、私も研修で共感の重要性を伝えていますが、共感について今一度考えてみたいと思います。

  • 共感そのものが難しいと感じる人がいるようだ
  • 共感力がある人でも、状況によってその度合いが変わることがあるようだ
  • 不安なとき、自分を守るために共感しない選択をする人がいるようだ
  • 共感疲労という言葉があるが、やり過ぎないために何が必要か?
  • 共感さえすれば解決と思っている人がいるのではないか?

こうした疑問が浮かびます。

8月21日のNHK朝ドラ『虎に翼』では、主人公の寅子が所長の桂場に、結婚後も旧姓で働けないかと尋ね、却下されるシーンがありました。続けて桂場が「なぜそんなくだらないことにこだわるんだ」と言い放ちますが、寅子は「どうしてもこだわりたいことが、人にはそれぞれあるんです。私のこだわりをくだらないと断じられる筋合いはありません」と反論します。これを聞いた桂場は「失言だった!」と謝罪し、「要望は認められないが、今のは君の言うとおりだ」と前言を撤回します。

このシーンから、共感に至るまでの段階があることを感じました。

すぐに共感できないこともありますし、相手に違和感を与えることもあるでしょう。しかし、率直に話し合うことで理解が深まり、共感に至るということがありそうです。

そして、桂場が共感の重要性を意識していたかは不明ですが、彼の態度からは寅子を尊重しようとする姿勢がうかがえます。

ということは、何でも共感しようとするよりも、まずは相手を尊重することを意識することが大切であり、共感は、その結果として自然に現れるものかもしれません。

いやいや、尊重にプラスして、共感しようという姿勢が大事というようにも思います。

ということは、自然に現れるものではなく、やはり共感しようという気持ちはそもそも必要なのかなと思えてきます。

まだまだ共感について考えてみたいと思えてきました。

皆さんはどう思いますか?

篠田寛子

ブログ :「手話」をテーマに異文化コミュニケーション・・五十嵐ゆり

ある自治体のLGBTQ+啓発事業の一環として、映画上映会の企画・運営を担当しています。昨年は、トランスジェンダーをテーマにした作品「片袖の魚」を上映したので、今年はテーマを変えて、LGBTQ+と“ろう”をテーマにした作品「ジンジャーミルク」を選びました。

監督の今井ミカさんは、第一言語が日本手話のろう者で、2018年には「虹色の朝が来るまで」にて、ろう者の同性カップルを主役とした作品を作っています。地方都市のろう者のコミュニティの狭さや、家族との対立、ろうのLGBTQ+交流会での新しい出会いなどが描かれており、ダブルマイノリティと言われる人々の日常や喜怒哀楽を、映画を通じて追体験することができたので、今井監督の次なる作品に大変期待していました。

その作品、「ジンジャーミルク」は、初見で大きな衝撃を受けました。

日本手話と日本語は、全く別の言語であることを改めて痛感させられました。聴者(聴覚に障害がない人)がある手話を使ったことによってすれ違いが生じますが、詳細を書くとネタバレになっちゃいますので、ここは伏せます。ぜひ作品をご覧ください。日本手話は独特の文法体系を持っていて、日本語とは語順も異なるそうです。お恥ずかしながら私は以前、手話は聴者が話す日本語をハンドサインで翻訳しているものと思い込んでいましたが、それは、日本語対応手話、と呼ばれるものです。日本手話は、第一言語として手話を習得した方が多く使うものだそうです。

映画の主人公でろう者の健斗は「自分はゲイかも」と感じ、聴者であり同性の同級生に思いを寄せます。ろう者と聴者のコミュニケーションや文化の違いが、様々な形で表現され、ハッとさせられる場面が数多く登場します。レズビアンとして様々な情報発信や啓発活動に携わる自分自身が、ダブルマイノリティの方々の苦悩についてまだまだ分かっていなかったと、胸が痛くなるような思いで観ていました。

上映後のアフタートークでは、監督にお越しいただき、映画監督になったきっかけや、本作に込めた思い、作品に関する補足的な説明やエピソードをご紹介いただき、その後は参加者との質疑応答の時間を設けました。ろうの方々も多数来場していて、中には質問をした方もおられました。聴者に対しては、手話通訳の方が日本語に通訳してくださいます。私は進行役として前方にいて、参加者の皆さんの様子が手に取るようにわかる場所にいました。とても印象的だったのは、質疑応答のやりとりのさなか、大きく頷く人がいたり、ろうの方々が生き生きとした表情を見せていたり、会場の温度が数度上がったのではと思うくらいの皆さんのパッションがあふれる光景でした。

知りたい、学びたい、という気持ちを持っている方が、そもそも参加してくれているので自然なことかもしれません。それでも今日は、コミュニケーションや文化の違いを体感し、お互いを尊重することの大切さを感じてくれた人がひとりでも増えたのではないか、その人たちが周りの人、一人でもいいからその思いを伝えてくれたらと、願わずにいられませんでした。ダイバーシティ&インクルージョンの理解や認識をさらに深めたい方に、「ジンジャーミルク」、お勧めします。

五十嵐ゆり

ブログ:マックルモアから学ぶ「特権」との向き合い方・・稲葉 哲治

アメリカ・シアトル出身のラッパー、マックルモア(Macklemore)が5月に発表した新曲『HIND’S HALL(ヒンズホール)』は、みなさん聞かれましたでしょうか?

ニューヨークのコロンビア大学でガザ反戦デモを行う学生たちに連帯し、自国のあり方を問う曲。ベトナム反戦運動の舞台にもなった同大学の象徴的建築ハミルトンホールが、ヒンド・ラジャブさんというパレスチナの少女への追悼から「ヒンズホール」と呼ばれだしたことに由来した曲名になっています。収益は全てUNRWA(国際連合パレスチナ難民救済事業機関)に寄付されるとのことです。

明るく楽しいノリノリの曲も数多く発表しているマックルモアですが、折々で社会の不条理さとそれに直面する人のあり方を抉るように問う作品を発表しています。

有名なものは、同性愛をテーマとした『Same Love』でしょう。繊細なピアノの旋律にのせた内向的な歌い方で「小学校3年の時、自分はゲイだって思っていた」という独白から始まるこの曲は、逡巡する思考を吐露しながらも、お互いを尊重し理解できないものへの怖れを乗り越えながら、社会を自分たちで変えていくこと(We have to change us)を呼びかける、とても美しい作品です。ミュージックビデオも感動的なため、5分半程ですが涙もろいかたは泣いちゃうかもしれません。

そんな『Same Love』もぜひ聞いていただきたいのですが、僕が本稿で紹介したい曲は2016年に発表された『White Privilege II』です。

題名の通り「白人特権」(=黒人・有色人種差別)についての曲ですが、この作品を意義深くかつ複雑なものにしている理由として、歌い手のマックルモア自身はマジョリティ側・特権を享受する側である白人(かつ男性)であり、その立場からマイノリティの活動(Black Lives Matter 運動)に加わっている、という背景があります。

曲の中でマックルモアは、マイノリティの活動においては非当事者であり、むしろ抑圧者・簒奪者側に属しているマジョリティの自分自身が活動の輪の中にいていいのか、一緒に抗議の声を上げることが許されるのか、と厳しい自己批判とともに悩みます。

この自己批判や悩みを、みなさんも感じたことはあるでしょうか?

自分自身の特権と、向き合ったことはあるでしょうか?

非当事者として、マイノリティや社会的弱者の方たちと活動するとき、支援を行うとき、自分自身の特権(それはマイノリティや社会的弱者を苦しめている原因だったりします)と向きあわなければ、偽善どころの話しではなく、支援をすることで自分だけが気持ちよくなる、感動ポルノを味わうだけになる、という結末にしかならない、と僕は思います。それは結果として、マイノリティや社会的弱者の方を消費することになり、社会の溝をさらに深めることにもなりかねません。

『White Privilege II』は、Black Lives Matter のデモの中で拾われたものを中心にたくさんの人々のたくさんの声に満ちています。それらは混乱を極めていて収拾がつきません。白人男性であるマックルモアも、自分自身の特権を自覚したからといって、何をすればよいのかわかりません。歴史や理屈を語ってかっこつけてみても、所詮はひたすら、どうすりゃいいんだーーと言っているだけです。

私たちも、きっと同じことになるでしょう。今なっている人も多いでしょう。

でも最後に、Your silence is a luxury, hip-hop is not a luxury、と歌われます。黙っていられることは特権であり、黙っていることはマイノリティや社会的弱者の方を苦しめている社会構造を維持することに加担することになります。沈黙は、贅沢。誰かの犠牲の上にある贅沢です。私の、あなたのあり方・生き方・仕事(マックルモアにとってはその総体がヒップホップ)は、いつまでそんな贅沢を享受し続けるのでしょうか?

黙っていれば、課題の一部。しかし混乱し答えもなく迷いばかりであっても、声を上げて少しでも行動することで、解決の一部になれるかも。D&Iが当たり前となる未来のために、自分自身の特権を問い、沈黙を乗り越えていくことを、みなさんとともに続けていきたいと思っています。

マックルモアのそれぞれの曲は、各音楽配信サービスやYouTubeで聞くことができます。ぜひ聞いて、感想などお聞かせください。

稲葉 哲治

ブログ:天然ダイバーシティな人・・山田 弘

天然ダイバーシティな人ってどんな人?

天然ダイバーシティをGoogle検索してみると、『地球上のさまざまな環境の中で適応進化した多種多様な生物(人類を含む)が、さまざまな形で関わり合いながら暮らしている状態を表す概念である「生物多様性」に倣う言葉』(AIによる概要)と表示されます。

が、ここでは『ダイバーシティに関する知識スコアは低いけど、ダイバーシティにフレンドリーな人』と定義します。

そんな人いるの?と思うかもしれませんが、いるのです。

なぜなら、私がそうだったから。

え〜、それはGEWELのような団体に所属しているからであって、知識スコアの高い人は天然とは言わないでしょう・・・という声が聞こえてきそうです。

確かにGEWELに所属してからは、ダイバーシティに関する知識スコアは上がっているでしょうが、GEWELが設立された当時(同時期)の私の知識スコアはかなり低かった。

そんな私が、こんなことを感じていた。

人がみんな違っているのは当たり前で、それぞれの得意を活かして働けばみんな幸せになれるし、その方がアウトプットのパフォーマンスも上がると本気で思っていた。

なぜそんな風に感じるのかずっと不思議だったが、その謎はストレングスファインダー(クリフトンストレングス)が解いてくれた。

私のストレングスファインダーの1位は、「個別化」の資質。

個別化の資質
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あなたは個別化という資質により、一人ひとりが持つユニークな個性に興味をひかれます。あなたは一人ひとりの何が特別でどこが個性的なのかを覆い隠したくないので、人を一般化したりあるいは類型化することに我慢できません。むしろ、個人個人の違いに注目します。あなたは本能的にそれぞれの人の性格、動機、考え方、関係の築き方を観察しています。あなたはそれぞれの人生における、その人にしかない物語を理解します。あなたはそれぞれの人生における、その人にしかない物語を理解します。この資質によって、あなたはあなたの友達にぴったりの誕生日プレゼントを選んだり、ある人は人前で誉められることを好み別の人はそれを嫌うことを分かったり、一から十まで説明して欲しい人と、一を示せば十を知る人とに合わせて、教え方を調整できたりするのです。あなたは他の人の強みをとても鋭く観察する人なので一人ひとりの最も良いところを引き出すことができます。この個別化という資質は、あなたが生産性の高いチームを作ることにも役立ちます。完璧なチームを作るに当たりチームの「組織構造」や「作業手順」に着目する人もいますが、あなたは優秀なチーム作りの秘訣は、各自が得意なことを充分にできるような強みに基づく配役である、ということを本能的に知っています。1)
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1)さあ、才能(じぶん)に目覚めよう: あなたの5つの強みを見出し、活かす
   マーカス・バッキンガム&ドナルド・O・クリフトン (著), 田口 俊樹 (翻訳)

個別化を上位に持つ人はこのような傾向を秘めた人なので、個別化を上位に持たない人にはちょっと理解が追いつかない・・・

しかし、そんな天然ダイバーシティな人は、ダイバーシティ推進が手詰まりになっている時のゲームチェンジャーになるかも。

山田 弘

ブログ:わかりやすくなったダイバーシティ・・小嶋美代子

ダイバーシティの用語認知度はどれくらいだと思いますか?

2022年のGEWEL調査によると、ダイバーシティを知っていますか?の質問に対して、「意味を説明できる」が14%、「なんとなく理解している」が28%で、認知度は42%。「全く知らない」は20%でした。

ところで、GEWELが設立されたのは20年前(設立経緯はこちらでお読みいただけます)。以降、ダイバーシティに関する様々な調査をしてきました。2008年のGEWEL調査から同じ質問の回答結果をご紹介しましょう。

「ダイバーシティを聞いたことがあり、どういう意味か知っている」は52%、「全く知らない」は16%でした。これを見ると、日本は14年もの間、ノー変化なのか?!と驚かれることでしょう。

これは調査対象の違いが影響しています。2008年の調査ではビジネスパーソンに限定されていましたが、2022年の調査では職業の有無にかかわらず広く一般市民層が対象です。

みなさんの実感ではどうでしょうか?

ダイバーシティという言葉が日常に現れることも増えてきたのではないでしょうか。わたしの住む数千人の小さな町でも、政策として掲げられています。ダイバーシティはすでに組織における戦略としてだけでなく、一般市民の生活に根付いてきたと言えます。インバウンドによって外国人との接点も増えました。一般誌でジェンダー特集も組まれるようになりました。発達障害を含めた日常の困りごとがSNSを通じて伝わるようになりました。最近では昭和時代のアタリマエを令和と比較して茶化すようなドラマもあるそうです。

こうした変化によって、ダイバーシティは徐々に「わかりにくい新しい言葉」から「わかりやすいよく聞く言葉」になってきたものと思われます。

「わかりやすいはわかりにくい」(筑摩書房・鷲田清一著)という本の中に、興味深いことが書かれていました。すべてがわかりやすく整理され完結することは、そのことの終わりを示す、ということだそうです。

だから、わたしたちがわからないこと、矛盾すること、混沌としていることは、持続性を示しているわけで、決して悪いことではないのです。日本ではこう、海外ではどう、などと二項対立で語ることや、理由と結果を述べて結論付けることは、刹那的であり持続的ではないというわけです。矛盾や混沌の複雑な社会の中で、人と対話しながら異なる角度で本質を思索することこそが幸せの追求であり、Wellbeingなのでしょう。わたしが文末に結ぶ言葉はまさしく持続可能性であると言えます。
しらんけど

小嶋美代子