ダイバーシティを推進するために「共感力を磨きましょう」という言葉を耳にしたことがあるかもしれません。
共感とは、相手の気持ちや考えに寄り添い、その背景を理解しようとする姿勢です。単なる同意ではなく、なぜ相手がそう考えるのかを知ろうと努めることで、誤解や偏見が減り、深いコミュニケーションが生まれます。多様な意見や価値観に対して共感することで、職場やコミュニティでの一体感が高まり、多様性を活かした新しい価値の創造につながります。
というように、私も研修で共感の重要性を伝えていますが、共感について今一度考えてみたいと思います。
- 共感そのものが難しいと感じる人がいるようだ
- 共感力がある人でも、状況によってその度合いが変わることがあるようだ
- 不安なとき、自分を守るために共感しない選択をする人がいるようだ
- 共感疲労という言葉があるが、やり過ぎないために何が必要か?
- 共感さえすれば解決と思っている人がいるのではないか?
こうした疑問が浮かびます。
8月21日のNHK朝ドラ『虎に翼』では、主人公の寅子が所長の桂場に、結婚後も旧姓で働けないかと尋ね、却下されるシーンがありました。続けて桂場が「なぜそんなくだらないことにこだわるんだ」と言い放ちますが、寅子は「どうしてもこだわりたいことが、人にはそれぞれあるんです。私のこだわりをくだらないと断じられる筋合いはありません」と反論します。これを聞いた桂場は「失言だった!」と謝罪し、「要望は認められないが、今のは君の言うとおりだ」と前言を撤回します。
このシーンから、共感に至るまでの段階があることを感じました。
すぐに共感できないこともありますし、相手に違和感を与えることもあるでしょう。しかし、率直に話し合うことで理解が深まり、共感に至るということがありそうです。
そして、桂場が共感の重要性を意識していたかは不明ですが、彼の態度からは寅子を尊重しようとする姿勢がうかがえます。
ということは、何でも共感しようとするよりも、まずは相手を尊重することを意識することが大切であり、共感は、その結果として自然に現れるものかもしれません。
いやいや、尊重にプラスして、共感しようという姿勢が大事というようにも思います。
ということは、自然に現れるものではなく、やはり共感しようという気持ちはそもそも必要なのかなと思えてきます。
まだまだ共感について考えてみたいと思えてきました。
皆さんはどう思いますか?
篠田寛子