開催レポート GEWELオープンフォーラム2017

正会員 島谷 美奈子

11月19日GEWELオープンフォーラムが開催されました。

あなたは自分の価値を“ここまで”と制限していませんか?

GEWELオープンフォーラムでは、登壇者や参加者との交流から、キャリア観、価値観、人生観の多様性に触れることで自分の世界を広げ、互いを生かす社会の実現を共に考える場です。今回は、人生やキャリアの転機に、自分の価値と可能性を信じ、自分らしく未来を拓いた4名のゲストをお迎えしました。
パネルディスカッションの様子から、トピックをお届けします。

(パネリスト)
初瀬 勇輔氏 ㈱ユニバーサル スタイル代表取締役( 視覚障害者柔道現役選手)
松井 みさき氏 写真家・映像作家
小野寺志保氏 元女子サッカー日本代表GK
蓮見勇太氏 Diversity & Inclusion Evangelist

1.人生やキャリアの転機との向き合い方
初瀬 勇輔氏:(中途)障害当事者×パラリンピック選手×起業
23歳で視覚障碍者(中心の視野しかない状態)となった初瀬さん。目が悪くても音声があれば共有ができる、「同じ人間である」と捉えて、物事に取り組まれています。
けれども、ご自身が就職活動に苦労した経験から障害者の就職の厳しさに直面し、起業して障害者就労支援をされていらっしゃいます。就職もほとんどできない
「弱点が武器になる瞬間がある」「目が悪いことは変わらないが思い方ひとつでなんとでもなる」という言葉が印象的でした。

松井 みさき氏:マーケ×プランニング×音楽
大学では経済学部を卒業した松井さん。美大への進学を希望するも、親の方針もあり受験することすらできなかったのです。卒業後、どうしてもクリエイティブな世界へ行きたくて広告業界へ就職。マーケティングプランナーに従事しながらも、「絵心」が捨てられず写真を趣味として続けていました。
人生の転機になったときに「これはチャンスだ」と考え、NYへ行くことを決意します。これ以上落ちることはないだろうと考えたら、何でもできると思えたのです。
日本では無謀と言われることが、NYでは「チャレンジャーだね」と言われる。それほど若くはないけれど、やり直しが効く街NYであれば、日本で実績がなくてもなんとかなるだろうと思ったのです。実際に、NYは行動を起こすことでチャンスがもらえます。日本であれば「愛情」と「心配」がセットで、止めに入ることが多いところ、NYではそうではないのです。

小野寺志保氏:酒×音楽×スポーツ(3つができていれば幸せ!)
サッカー選手として長年「ゴールを守るだけ」に生きてきたという小野寺さん。自治体職員となり最初は税金を扱う部門に配属になるも、納税の意味をそれほど真剣に考える時間もなく生きてきたことに気づいたそうです。
現在の地域スポーツ女子サッカー担当の部署で、澤選手などのなでしこOGを招へいし、子供たち向けにサッカー教室を企画実行するようになったのは、女子選手の活躍の場が一切にないとわかったことがきっかけでした。
サッカー選手OB・OGの打合せに参加した際、選手を引退後にOBは多様な場で活躍しているがOGの活躍の場がなく、サッカーと縁がない生活を送っていることを知りました。そこで、翌日レポートを書いて部署へ提出し、開催することができたのです。これまでに5回開催実績をお持ちです。

2.私の価値が無限大と思えるとき、ここで価値が出せるのだろうかと思ったとき
初瀬 勇輔氏
23歳のときに視力を失ったときです。
それまでわりと順調にきていたところが引きずり降ろされたのです。県3位以内の進学校を経て大学へ進み、弁護士を目指していました。どうやっても視力は戻れない。どうしていいかわからない瞬間がありました。
けれども、慣れは大切です。
当時は、他人に対して目が悪いことを説明することが嫌でしたが、今は慣れて説明できます。慣れが必要なのです。自分の努力で変えることができないことは、よい意味であきらめること。
失ったものを数えるより、変えられるものを使っていこうと考えています。
企業へ入社して1週間、視力がないために何もできませんでした。音声ソフトを入れてほしいというべきだったのでしょう。言っていたらダイバーシティ&インクルージョンになることを当時は心を閉ざしていました。
「俺の仕事は俺がつくる」と考えました。
当時はマッサージしか思いつかず、大学辞めてマッサージやるのか…選択肢が一個しかないのはつらいと感じ、自分で自分の仕事を作るしかないと思ったのです。障害のある人が仕事をするための仕事をしたいと思い起業しました。
障害者は800万人います。みなさん、障害者の方を飲みに誘ってください。混じり合いましょう。
それから、柔道を行う畳の上ではフラットです。23歳から人に謝ることが多いのですが、柔道では畳は段差がなく組んでやるので、つい先まで手引きしてくれた人を倒すこともできるのです。人と競うことができた!戦える!
このような場がもっと広がって共存できる場があるとよいと思っています。
私自身が障害を受容できるきっかけになりました。目が悪くても最初の情報の与え方などを工夫すれば生活ができる。パラリンピックにはゴールがあります。「インクルーシブな社会を世界中でつくること」です。

小野寺志保氏
引退した35歳の時です。
選手をやりながらいろんな人をするときに「夢ってすばらしいね」とよく話をしていました。アスリートのときは夢がいつもあり、そのためにどうすればいいかを考えて生きていました。例えば、動体視力を鍛えるために、街で出会った相手の顔をみたり、どうやったら相手の隙間に飛び込めるかを考えていたりしました。15歳から20年間、ひと時も忘れることなく「日本代表へ近づくこと」考えていたのです。
35歳で引退後、気づいたことは、「今の私には夢がない」ということです。夢があるのが当たり前と思っていて人にもそういっていたのに、小野寺選手ではなく小野寺になったときに「何もなくなってしまった」という感覚。今日何を考えて生きていけばいいのだろうと思いました。その時は日本サッカー協会から夢教室を5年生に実施していたのですが、自分に夢がないことが辛くて、辛くて…。自分は何が好きか考えてCDデビューしてみたりもしたのです。夢を探し続けていたら体調を崩し突発性難聴にもなりました。夢がないことでストレスになることに気づきました。

蓮見勇太氏
価値をもう一度見つけるときです。例えば結婚。
自分の判断基準が他人の価値判断だったかを気づいた瞬間がありました。私は、育ってきた反動でダイバーシティをやっているのではないかと思っています。厳格な父の教育の元育ち、守ってはくれるが男はこうあるべき、すべきではない、俺の言うことが聞けないのであればこの家にいるべきではないという環境でした。心地よく親の敷いたレールに乗ってきたときに、卒業後、「夢がない」と気付いたのです。親の進めた就職、親が褒めてくれるのかな、こうすれば上司が褒めてくれるのかなと思って生きていたことに気づき、「自分がやった」という実感がなかったのです。
メンターと出会い、自分のやりたいことや、イメージを見つめることができるようになりました。
例えば、妹が結婚するときに、「お父さんとお母さんも喜ぶね」とメッセージを送ったら「お父さんとお母さんを幸せにするために結婚するんじゃない。私が幸せになるために結婚する」といわれたてハッとしたことがありました。
ダイバーシティ&インルージョンとは、自分が認めて活かしてあげることだと思います。反対語は単一性、モノカルチャー、優劣(相対的に比べる)などでしょうか。けれども、一人一人違うはずなので優劣がないと思います。「自分の価値はこれです」と伝え、自分が「自分に価値がある」と伝えないと、周囲にはなかなか分かってもらえません。アメリカ人のメンターからは「Are You  Happy?」と聞かれます。周りの誰かではなく、私が幸せであるかどうか、なのです。
自分で自分の価値を認めて活かしていくことが大切です。

松井 みさき氏
NYに渡った時です。
日本は敬語がありますがアメリカにはありません。
どの会社の、どのポジションではなく、個人としてつきあってくれます。
美大出身であれば28歳で10年のアート経験があったでしょうが、自分はゼロスタートでした。丸腰、プライドがない状態だったからこそ、「教えてください」と素直になれたのだと思います。

3.価値を無限大と感じるためにはどうしたらいいのか?
初瀬 勇輔氏:(中途)障害当事者×パラリンピック選手×起業
自分にできることをしっかり認識できるかどうか、自分を信じること、スイッチを押す瞬間がないといけないと思います。
生きているだけでHAPPY。今がHAPPYであると信じるかどうか。
少年院に講演に行ったときに「目が治る薬があれば受けるか」と聞かれたことがあります。その時に、23歳からもう一度人生をやり直すのはつらいと思ったのです。今が幸せなのだと気付かされました。

蓮見勇太氏
価値判断の判断基準を自分に移すことです。他の人に認めてもらいたいと思うのは次のステップです。
私が日々実践していることを2つご紹介します。
①キャリアの転機でもあるメンターを持つこと。
自分の中で考えても見つからないと思ったら、答えを持っていそうな人にメンターになってもらえないかとお願いする。「忙しい」と言われたらこの人じゃなくて良かったと思えばよいのです。
②考える癖をつくること
自分の掛け算を見つけるために、考えるタイムを毎週つくる。アウトルックで2・3時間ブロックする。自分のために作る。
飛行機や入浴中でも時間は作れます。それでも煮詰まったら非日常世界に行く時間を持つとよいでしょう。

松井 みさき氏
①年齢で制限しない
私がキャリアチェンジをしようとしたとき、日本では応募できる写真コンクールがありませんでした。年齢制限があったのです。そこで、海外で活動し逆輸入しようと思いました。海外では明日死ぬかもわからないと思っているので良くも悪くも、年齢を考えません。年齢に制限をするのは日本ならではなのです。
②完璧主義を辞める
100%できていないと成果物を提出できないという方がいらっしゃいますが、世の中的にそれがどうなのかはわかりません。半分くらいで人に見せたほうがいいと思います。自分の100%へのこだわりは辞めたほうがいい。85%位でみせたほうが、次につながるのではと思います。

小野寺志保氏
夢はないのですが、今日の自分よりも明日の自分のほうが成長していると思っています。また、これからヒリツクような夢に出会えればいいかなとも思っています。

4.自分の価値をここまでと制限しないか?(グループディスカッション)
パネルディスカッションの後は、あなたは自分の価値をここまでと制限していませんか?というテーマでグループディスカッションの時間です。
順調だった人生から23歳で引きずり降ろされた。35歳の転機、OGの活躍の場を作る、マイナスからの異国の地でのスタート、年齢制限をなくす
他人ではなく自分の価値に気づく…等、パネルディスカッションより得たヒントを元に、活発なディスカッションの時間となりました。

インクルージョンな社会は、ひとりひとりが自分の価値を信じチャレンジし、そして他者のチャレンジを応援する社会です!お互いの価値と可能性が無限に広がる…そんな社会の実現について一緒に語り合う場となりました。
貴重なお話をしていただいたパネリストの皆様、参加されたみなさま、ありがとうござました。

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